タイタニック号に日本人の生き残りがいたことを知っていますか?
奇跡の生還を遂げたにもかかわらず、その後に誹謗中傷にあってしまいました。

せっかく生き残ったのにどうして批判されたの?
手記の内容とは?
今回は、
- タイタニック号日本人の生き残りはいる?
- 手記のその後や誹謗中傷がヤバすぎた!
というテーマでまとめていきたいと思います。
タイタニック号日本人の生き残りはいる?
1,500人もの方が犠牲となったタイタニック号の悲劇。
実は乗客の中に一人だけ日本人がいました。
細野正文が生き延びていた
タイタニック号の唯一の日本人乗客は、鉄道官僚の細野正文さんという方です。
彼は無事に船から脱出し、帰国することに成功しました。
どんな方なのかプロフィールを見てみましょう。
生誕:1870年11月8日
死没:1939年3月14日(68歳没)
職業:鉄道官僚
学歴
東京高等商業学校(現在の一橋大学)本科卒
東京外語学校(現在の東京外国語大学)ロシア語科修了
とても頭の良い方だったようですね。
ちなみに彼は、YMOの細野晴臣さんのおじいさまでもあります。

どことなくお顔が似ていますよね。
ロシア留学後タイタニック号で帰国する予定だった
1910年、鉄道の専門部署に配属された細野さん。
当時最新の鉄道技術を持つロシアにから学ぶために、ロシア語を話せる彼が留学することになったそうです。
そして約2年のロシア留学が終了。
知人を訪ねるためにイギリスに寄り、タイタニック号で帰国するつもりだったといいます。
タイタニック号で悲劇に見舞われる
1等船室は白人以外入れなかったため、細野さんは2等船室を予約したそうです。
そして航海の4日目の夜、悲劇が起こってしまいました。
氷山に激突したタイタニック号。
船長は女性と子供を優先して避難させるように指示を出したそうです。
細野さんは手記の中で、
今日で命が終わることを覚悟した
日本人の恥になってはならないと心掛けた
と、この時の気持ちを綴っています。
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絶体絶命の状況で、こんなことを考えられる人がいるでしょうか…
時代が違うとは言え、日本人としてのプライドがすごいですね。
そして彼は救命ボート4隻が女性たちでいっぱいになるなか、そこに乗ろうとする大勢の男性の姿を目にしたそうです。
船員はそれを防ぐために短銃をつきつけたのだとか。

想像を絶する状況ですね。
映画タイタニックでもこのような場面があったような…
奇跡的に生還できた
そして女性たちを乗せたボートは、少しずつ下におろされていきました。
するとその時!
指揮員が、
あと2人乗れる!
と叫んだといいます。
するとすぐに近くにいた1人の男性が飛び込みました。
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女性子供がもういないなら、男性が飛び乗っても問題ないですよね!
この男性は間違っていないでしょう。
そして細野さんはボートを見ました。
するとまだ空いている場所があったそうです。
これなら飛び込んでも誰にも危害を与えないだろう
と咄嗟に判断した彼は救命ボートに乗り込んだといいます。
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よかった…
最後の最後に幸運の女神が微笑んでくれたのでしょうね。
手記のその後や誹謗中傷がヤバすぎた!
奇跡の生還を遂げた細野さんに対し、はじめは祝福ムードでした。
ところが一人のイギリス人の発言により祝福ムードは一変し、非難に変わったのです。
帰国後に誹謗中傷にあう
タイタニック生還者の英国人ローレンス・ビーズリーが書いた著作「THE LOSS OF THE SS.TITANIC」の中に、
他人を押しのけて救命ボート(13号ボート)に乗った嫌な日本人がいた
という内容があったのです。
これが日本国内で広がり、
他人を押しやってまで生きのびた卑怯者
と誹謗中傷を受けることになってしまったのです。
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本当は、ちゃんとルールを守っていたのに…
後にこれは誤解だったことが明らかになります。
大正初期の女学校の教科書にはなんと、
女、子供を優先するルールがあったにも関わらず、男のくせに助かった。
日本の恥さらしだ。
という内容が書かれたという話もあります。

教科書にここまで書かれるとは…。
しかも真実かどうかわからないのに。
また、
女性を装ってボートに潜り込んだ
という噂まで広がったとも言われています。

今も昔も憶測で色々な噂が飛び交っていたのですね。
著名人も批判していた
卑怯者呼ばわりされた彼に対し、
・新渡戸稲造(政治家、農学者、教育者)
・木村毅(早稲田大学教授)
なども非難的な姿勢を見せたと言われています。
新渡戸稲造は5千円札に描かれている方。
日本全体で批判していたことがうかがえますね。
仕事も格下げに
誹謗中傷の影響は仕事にまで及びました。
副参事から嘱託に格下されたといいます。
しかし彼は一切反論することはなかったそうです。
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え!どうして?違うって言えば良かったのに!
女性、子供を優先すべき状況の中、男性の自分が帰還したことに少なからず後ろめたさを感じていたとも言われています。
また、細野さんご自身だけでなくご家族も色々と辛い思いをされたそうです。

これは辛いですね…
反論したくてもできない状況だったのでしょうね。
しかし前向きな考え方もされていたようです。
「週刊エコノミスト」によると、
誹謗中傷を気にする家族に対して、
俺が今こうして生きているんだから、いいじゃないか
と笑って取り合わなかったというエピソードもあります。
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本当にその通り!家族は細野さんが帰ってくれたことが一番うれしかったはずです。
真実が書かれた手記が見つかる
細野さんが亡くなった数年後、長男の細野日出児さんが書斎の奥で細野さんの手記を見つけます。
そこには、
・女性子どもの救助を優先したこと
・船と一緒に沈む覚悟をしていたこと
・救命ボートに余裕があることを聞き、決死の判断で飛び乗ったこと
このような事が書かれていたのです!
救命ボードで漂流し、やっと行き着いた船の上で書かれたものだといいます。
これまで言われてきた「他人を押しのけてまで生きて帰った卑怯者」ではなかったことがついに証明されました。
日出児さんはこの手記をもって、父の汚名返上をしようと奮闘したそうです。
しかし!
当時は戦時真っただ中。
その取り組みは上手くいかなかったそうです。
日出児さんもまた、父の汚名を晴らすことはできないまま、1981年に亡くなられました。
映画「タイタニック」がきっかけで誤解が解ける
そんな細野さんの汚名がついに晴らされる時がやってきました。
そのきっかけとなったのが、1997年に公開された映画「タイタニック」でした!
映画公開に合わせて、タイタニック財団は多方面で調査を実施。
その一環として日本人生還者の調査も行うこととなり、家族はあの手記を財団へ。
内容がついに明るみになったのです!
そして財団は当時の証言や資料などをもとに調査。
その結果、
・細野さんが乗っていたボートは13号ではなく10号だった
・10号に乗っていたのはアルメニア人2人とされていたが、おそらく細野さんがアルメニア人だと勘違いされていた
・「他人を押しのけて救命ボート(13号ボート)に乗った嫌な日本人」は、細野さんではなく中国人だった
このような事実が次々と明らかになりました。
あのイギリス人ローレンス・ビーズリー氏の発言は勘違いだったのです。
実は13号に乗っていた中国人に対するものであり、人違いだったことになりますね。
細野晴臣さんは後のインタビューで、85年ぶりに汚名が晴れたことをお祝いして親戚一同集まったとおっしゃっていました。
長い道のりではありましたが、汚名返上が叶ったことは細野さんを信じ続けていたご家族の力もあったのでしょうね。
日本人にとっても非常に喜ばしいことです。
まとめ
今回はタイタニック号日本人の生き残りの方について調べてみました。
手記のその後や誹謗中傷がヤバすぎたという噂通り、ひどい目にあっていたことがわかりました。
【タイタニック号日本人の生き残りはいる?】
➡細野正文さん
➡ルールを守り最後に救命ボートに乗り助かった
【手記のその後や誹謗中傷がヤバすぎた!】
➡他のズルをしたアジア人と勘違いされ非難された
➡濡れ衣は息子の代でも晴れなかった
➡映画タイタニックの調査によりついに勘違いが明らかになった
このようなことがわかりました。
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