アーヤと魔女は途中で終わった?原作も結末意味がわからない?

アーヤと魔女は途中で終わった?原作も結末意味がわからない?

スタジオジブリが初めて挑んだ、

長編3DCGアニメ「アーヤと魔女」。

絶賛の声が上がる一方で、

途中で終わった感じがする

意味がわからない結末でモヤモヤする

などラストの描写について、

ネガティブな意見が多い作品でもあります。

実は本作の原作も意味がわからない結末で終わっています。

筆者

原作を見ても結末のモヤモヤは解消されないのですね…

この記事では、

  • アーヤと魔女は途中で終わった?
  • 原作も結末意味がわからない?

について深堀したいと思います。

目次

アーヤと魔女は途中で終わった?

アーヤと魔女のラストは、

親友カスタードと母親がアーヤの家にやってくる

という場面で終わります。

このラストシーンの、

  • 途中で終わった感じがする要素
  • 途中で終わった理由

について見ていきましょう。

途中で終わったと感じる要素

アーヤと魔女のラストで、

え?ここで終わりなの?

と驚いた方は多いでしょう。

色々なことが回収されずに終わったと感じるラストでした。

そのポイントを挙げていきましょう。

12人の魔女のエピソード

孤児院にアーヤを託した母親は、

  • 仲間の12人の魔女に追われている
  • 逃げ切ることができたら娘を迎えにくる

という内容の手紙を残しています。

しかし、

  • 12人の魔女とは誰なのか
  • どうして彼女たちに追われていたのか

などの伏線回収はありませんでした。

マンドレークの正体

ロックバンド「EARWIG」の元リーダーで、

現在は小説家であるマンドレーク。

謎の多い彼の正体も結局最後までわからないままでした。

マンドレークはアーヤの父親?

という説が有力です。

ジョン・レノンを彷彿とさせるような風貌で、

カリスマ的なバンドマンだったマンドレーク。

アーヤの母親とベラが敵対していた理由は、

二人ともマンドレークに好意を持っていて、

アーヤ母が抜け駆けをしたからかもしれません。

筆者

そう考えると、
アーヤの父親はマンドレークという可能性が高いですね。

  • マンドレークがアーヤに甘いのは実の父親だから
  • ベラがアーヤに厳しいのは恋のライバルの娘だから

と解釈することができます。

しかし最後までマンドレークの正体はわからず、

モヤモヤした方が多かったようです。

母親の秘密

アーヤの母親は重要キャラでありながら、

多くの謎が残されたままでした。

  • どんなトラブルで12人の魔女に追われていたのか
  • なぜアーヤを孤児院に預けたのか
  • なぜこのタイミングでアーヤを迎えに来たのか

このような母親の描写ついて、

伏線回収がないままに終わってしまいました。

そのため、

途中で終わったと感じた方は多かったようです。

アーヤは魔女なのか

人を操る不思議な力を持つアーヤ。

これまでのジブリのヒロインにはない、

したたかな女の子です。

巧みに相手を自分の思い通りに行動させて、

快適な生活を手に入れています。

そこで気になるのが、

魔法で人を操っているのか

ということでしょう。

ネットの声

アーヤは人を操る力を持つ魔女

アーヤの母親もアーヤも魔女だと思う

このような考察が見られました。

アーヤはただの女の子なのか魔女なのか、

最後にハッキリ描いて欲しかったという方も多かったようです。

途中で終わった理由

アーヤと魔女の映画は、

様々な伏線が回収されないまま終わってしまいました。

実はこの中途半端なラストには理由があります。

それは、

原作が中途半端な終わり方だから。

本作は、

ダイアナ・ウィン・ジョーンズの同名児童小説が原作です。

彼女は「ハウルの動く城」の原作も書いている、

英国のファンタジーの女王と呼ばれた小説家です。

筆者

宮崎吾朗監督は原作をリスペクトし、
ラストも原作に忠実な内容にしたのですね。

アーヤと魔女は原作も結末意味がわからない?

アーヤと魔女の原作である同名児童小説も、

意味がわからない結末で終わっています。

原作のラストは、

映画版以上に中途半端な終わり方でした。

そしてその理由は、

作者が物語を書き終える前に亡くなってしまったから。

この内容について詳しく見ていきましょう。

映画版以上に中途半端な終わり方だった

まずは映画版のラストを振り返ってみましょう。

ベラやマンドレークを操り、

不自由ない生活を手に入れていたアーヤ。

しかし一つだけ不満がありました。

親友カスタードがマンドレークを恐れて家に遊びに来てくれないこと。

しかしクリスマスパーティに招待されたカスタードは、

ついにアーヤの家へ行く決心をします。

アーヤの家の前でためらうカスタード。

すると何者かがカスタードの肩に手を置き、

一緒にアーヤの家の門の前へ。

その人物こそアーヤの母親でした。

筆者

母親の登場が唐突ではありましたが、
アーヤは母親に会えたことがわかるラストではありましたね。

一方原作のラストでは、

カスタードも母親も登場しません。

思い通りの生活を手に入れながらも、

カスタードが来てくれないことに不満なアーヤ。

というところまでは映画版と同じですが、

原作では、

大丈夫、カスタードも操れるようになるはず、

とアーヤが思うところで終わりました。

筆者

おそらくその後カスタードは来てくれたと思いますが、
母親と再会できたかどうかはわかりませんでしたね。

作者が物語を書き終える前に亡くなっていた

原作が中途半端なところで終わっている理由は、

実は作者が物語を書き終える前に亡くなってしまったからです。

未完成の小説なのです。

原作者のダイアナ・ウィン・ジョーンズさんは、

2009年の夏に肺がんが発覚した後、

闘病生活を送りながら本作を書き、

後から手を入れようと置いておいたといいます。

しかしその後、

これくらいなら出版できるだろう

と判断しどうにか出版したそうです。

そしてその後2002年に亡くなっています。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズさんの作品は、

よく練られたストーリーが多いのですが、

本作だけはあっさりした印象を受けます。

筆者

様々な伏線を最後に回収するつもりだったのかもしれませんね。

宮崎吾朗監督は合同取材会見にて、

未完の段階であれだけの面白さは、
さすがファンジーの女王です。

と発言されています。

また、

原作を無理に膨らませようとすると別な作品になってしまう、

と考え極力原作に忠実にすることを決めた、

とも発言されています。

筆者

観客にはある程度すっきり終わる部分も見せたいから、
カスタードと母親が来てくれた描写は入れたのでしょうね。

ちなみにラスト以外に加えた部分はこちら。

  • アーヤの母親のエピソード
    (原作では母親は孤児院に預けた後は登場しない)
  • ロックバンドのエピソード
    (原作にはロックバンドは登場しない)

主軸のストーリーを改変するのではなく、

バックグラウンドを深堀りすることで、

アーヤの血の中にあるものを描こうと考えたそうです。

アーヤと魔女の続編の可能性は?

母親が現れて「ここから!」という場面で終わってしまった本作。

公開当時から続編を期待する声が多く上がっていました。

その可能性はあるのでしょうか。

続編の情報はない(2024年3月現在)

残念ながら現在続編の情報はありません。

公開当時からこれまで、

続編の可能性が報じられたこともありません。

宮崎吾朗監督はジブリパークを手掛けていて多忙なため、

新作に着手する余裕はないのかもしれませんね。

オリジナルストーリーを作る可能性は低い

今すぐ続編が作られないとしても、

ネットの声

しばらくしてから続編が作られる可能性はあるのでは?

と期待する声も見られましたが、

おそらくその可能性も低いでしょう。

宮崎吾朗監督は本作の原作や著者をリスペクトしており、

極力忠実に描くことを重視して本作を仕上げています。

続編が作られることになれば、

すべてオリジナルストーリーになりますので、

監督がそれを望まないでしょう。

エンドロールで後日談は楽しめる!

途中で終わってしまったアーヤと魔女ですが、

エンドロールでは後日談が描かれています。

アーヤがベラたちと楽しく過ごしている日々を、

少しだけ見ることができます。

実はこれは宮崎吾朗監督が、

後日談のようなものを書いてあげたら楽しいかな

と遊び心で書いた絵コンテなのだとか。

エンドロールの内容を考えた際に、

それをそのまま使おう!となったそうです。

筆者

アーヤのその後のイメージが膨らむので、
満足した気持ちになりますね。

まとめ

今回は、

「アーヤと魔女」が途中で終わった理由や、

原作の結末についてまとめてきました。

【アーヤと魔女が途中で終わったと感じる理由】
➡伏線回収ができていない
➡母親が現れて「ここから!」のところで終わっている

アーヤと魔女が途中で終わった理由】
未完成な原作を忠実に描いたから
原作が未完な理由は作者が亡くなったから
➡続編の予定はない

このようなことがわかりました。

途中で終わったことは残念ですが、

自分なりの考察が楽しめる作品とも言えますね。

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