スタジオジブリが初めて挑んだ、
長編3DCGアニメ「アーヤと魔女」。
絶賛の声が上がる一方で、
途中で終わった感じがする
意味がわからない結末でモヤモヤする
などラストの描写について、
ネガティブな意見が多い作品でもあります。
実は本作の原作も意味がわからない結末で終わっています。
![](https://g-salmon.com/wp-content/uploads/2024/01/筆者(妹)-150x150.png)
原作を見ても結末のモヤモヤは解消されないのですね…
この記事では、
- アーヤと魔女は途中で終わった?
- 原作も結末意味がわからない?
について深堀したいと思います。
アーヤと魔女は途中で終わった?
アーヤと魔女のラストは、
親友カスタードと母親がアーヤの家にやってくる
という場面で終わります。
このラストシーンの、
- 途中で終わった感じがする要素
- 途中で終わった理由
について見ていきましょう。
途中で終わったと感じる要素
アーヤと魔女のラストで、
![](https://g-salmon.com/wp-content/uploads/2024/02/イラスト-4-1-150x150.jpg)
え?ここで終わりなの?
と驚いた方は多いでしょう。
色々なことが回収されずに終わったと感じるラストでした。
そのポイントを挙げていきましょう。
12人の魔女のエピソード
孤児院にアーヤを託した母親は、
- 仲間の12人の魔女に追われている
- 逃げ切ることができたら娘を迎えにくる
という内容の手紙を残しています。
しかし、
- 12人の魔女とは誰なのか
- どうして彼女たちに追われていたのか
などの伏線回収はありませんでした。
マンドレークの正体
ロックバンド「EARWIG」の元リーダーで、
現在は小説家であるマンドレーク。
謎の多い彼の正体も結局最後までわからないままでした。
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マンドレークはアーヤの父親?
という説が有力です。
ジョン・レノンを彷彿とさせるような風貌で、
カリスマ的なバンドマンだったマンドレーク。
アーヤの母親とベラが敵対していた理由は、
二人ともマンドレークに好意を持っていて、
アーヤ母が抜け駆けをしたからかもしれません。
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そう考えると、
アーヤの父親はマンドレークという可能性が高いですね。
- マンドレークがアーヤに甘いのは実の父親だから
- ベラがアーヤに厳しいのは恋のライバルの娘だから
と解釈することができます。
しかし最後までマンドレークの正体はわからず、
モヤモヤした方が多かったようです。
母親の秘密
アーヤの母親は重要キャラでありながら、
多くの謎が残されたままでした。
- どんなトラブルで12人の魔女に追われていたのか
- なぜアーヤを孤児院に預けたのか
- なぜこのタイミングでアーヤを迎えに来たのか
このような母親の描写ついて、
伏線回収がないままに終わってしまいました。
そのため、
途中で終わったと感じた方は多かったようです。
アーヤは魔女なのか
人を操る不思議な力を持つアーヤ。
これまでのジブリのヒロインにはない、
したたかな女の子です。
巧みに相手を自分の思い通りに行動させて、
快適な生活を手に入れています。
そこで気になるのが、
魔法で人を操っているのか
ということでしょう。
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アーヤは人を操る力を持つ魔女
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アーヤの母親もアーヤも魔女だと思う
このような考察が見られました。
アーヤはただの女の子なのか魔女なのか、
最後にハッキリ描いて欲しかったという方も多かったようです。
途中で終わった理由
アーヤと魔女の映画は、
様々な伏線が回収されないまま終わってしまいました。
実はこの中途半端なラストには理由があります。
それは、
原作が中途半端な終わり方だから。
本作は、
ダイアナ・ウィン・ジョーンズの同名児童小説が原作です。
彼女は「ハウルの動く城」の原作も書いている、
英国のファンタジーの女王と呼ばれた小説家です。
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宮崎吾朗監督は原作をリスペクトし、
ラストも原作に忠実な内容にしたのですね。
アーヤと魔女は原作も結末意味がわからない?
アーヤと魔女の原作である同名児童小説も、
意味がわからない結末で終わっています。
原作のラストは、
映画版以上に中途半端な終わり方でした。
そしてその理由は、
作者が物語を書き終える前に亡くなってしまったから。
この内容について詳しく見ていきましょう。
映画版以上に中途半端な終わり方だった
まずは映画版のラストを振り返ってみましょう。
ベラやマンドレークを操り、
不自由ない生活を手に入れていたアーヤ。
しかし一つだけ不満がありました。
親友カスタードがマンドレークを恐れて家に遊びに来てくれないこと。
しかしクリスマスパーティに招待されたカスタードは、
ついにアーヤの家へ行く決心をします。
アーヤの家の前でためらうカスタード。
すると何者かがカスタードの肩に手を置き、
一緒にアーヤの家の門の前へ。
その人物こそアーヤの母親でした。
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母親の登場が唐突ではありましたが、
アーヤは母親に会えたことがわかるラストではありましたね。
一方原作のラストでは、
カスタードも母親も登場しません。
思い通りの生活を手に入れながらも、
カスタードが来てくれないことに不満なアーヤ。
というところまでは映画版と同じですが、
原作では、
大丈夫、カスタードも操れるようになるはず、
とアーヤが思うところで終わりました。
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おそらくその後カスタードは来てくれたと思いますが、
母親と再会できたかどうかはわかりませんでしたね。
作者が物語を書き終える前に亡くなっていた
原作が中途半端なところで終わっている理由は、
実は作者が物語を書き終える前に亡くなってしまったからです。
未完成の小説なのです。
原作者のダイアナ・ウィン・ジョーンズさんは、
2009年の夏に肺がんが発覚した後、
闘病生活を送りながら本作を書き、
後から手を入れようと置いておいたといいます。
しかしその後、
これくらいなら出版できるだろう
と判断しどうにか出版したそうです。
そしてその後2002年に亡くなっています。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズさんの作品は、
よく練られたストーリーが多いのですが、
本作だけはあっさりした印象を受けます。
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様々な伏線を最後に回収するつもりだったのかもしれませんね。
宮崎吾朗監督は合同取材会見にて、
未完の段階であれだけの面白さは、
さすがファンジーの女王です。
と発言されています。
また、
原作を無理に膨らませようとすると別な作品になってしまう、
と考え極力原作に忠実にすることを決めた、
とも発言されています。
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観客にはある程度すっきり終わる部分も見せたいから、
カスタードと母親が来てくれた描写は入れたのでしょうね。
ちなみにラスト以外に加えた部分はこちら。
- アーヤの母親のエピソード
(原作では母親は孤児院に預けた後は登場しない) - ロックバンドのエピソード
(原作にはロックバンドは登場しない)
主軸のストーリーを改変するのではなく、
バックグラウンドを深堀りすることで、
アーヤの血の中にあるものを描こうと考えたそうです。
アーヤと魔女の続編の可能性は?
母親が現れて「ここから!」という場面で終わってしまった本作。
公開当時から続編を期待する声が多く上がっていました。
その可能性はあるのでしょうか。
続編の情報はない(2024年3月現在)
残念ながら現在続編の情報はありません。
公開当時からこれまで、
続編の可能性が報じられたこともありません。
宮崎吾朗監督はジブリパークを手掛けていて多忙なため、
新作に着手する余裕はないのかもしれませんね。
オリジナルストーリーを作る可能性は低い
今すぐ続編が作られないとしても、
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しばらくしてから続編が作られる可能性はあるのでは?
と期待する声も見られましたが、
おそらくその可能性も低いでしょう。
宮崎吾朗監督は本作の原作や著者をリスペクトしており、
極力忠実に描くことを重視して本作を仕上げています。
続編が作られることになれば、
すべてオリジナルストーリーになりますので、
監督がそれを望まないでしょう。
エンドロールで後日談は楽しめる!
途中で終わってしまったアーヤと魔女ですが、
エンドロールでは後日談が描かれています。
アーヤがベラたちと楽しく過ごしている日々を、
少しだけ見ることができます。
実はこれは宮崎吾朗監督が、
後日談のようなものを書いてあげたら楽しいかな
と遊び心で書いた絵コンテなのだとか。
エンドロールの内容を考えた際に、
それをそのまま使おう!となったそうです。
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アーヤのその後のイメージが膨らむので、
満足した気持ちになりますね。
まとめ
今回は、
「アーヤと魔女」が途中で終わった理由や、
原作の結末についてまとめてきました。
【アーヤと魔女が途中で終わったと感じる理由】
➡伏線回収ができていない
➡母親が現れて「ここから!」のところで終わっている
【アーヤと魔女が途中で終わった理由】
➡未完成な原作を忠実に描いたから
➡原作が未完な理由は作者が亡くなったから
➡続編の予定はない
このようなことがわかりました。
途中で終わったことは残念ですが、
自分なりの考察が楽しめる作品とも言えますね。