ウォルトディズニーは冷凍保存されてる?何をした人か振り返ってみた

ウォルトディズニーは冷凍保存されてる?何をした人か振り返ってみた

ミッキーマウスの生みの親にして、ディズニーリゾートの創立者であるウォルトディズニー氏。その存在の偉大さのあまり、とんでもない都市伝説も残っているようです。不思議の国のアリスの原作が怖いなどディズニーに関する迷信や都市伝説は数え切れませんが、今回はウォルトディズニー氏の経歴について振り返りますよ。

目次

ウォルトディズニーの経歴

少年時代から絵を描くことやアートそのものに強い興味を持ち、7歳の時には自分の描いた小さなスケッチを近所の人に売っていたというウォルトディズニー氏。一時は高校と並行して絵の専門学校にも通いましたが、第一次世界大戦勃発時に退学して軍に志願したりもしていました。

大戦終結後に、実家の工場以外で仕事を見つけるために家を出たウォルトディズニー氏。ここからはウォルトディズニー氏の仕事を中心に経歴を振り返っていきますよ。

1920年にアニメーターへ転身

1920年に友人とデザイン会社を創立したウォルトディズニー氏ですが、程なくしてカンザスフィルム社にアニメーターとして雇用され、アニメーターに転身。1921年に独立して初のオリジナルアニメ作品も制作しました。同作が高評価となり、ウォルトディズニー氏は個人事務所からアニメ制作会社へ会社を拡張。しかし制作に没頭し、資金繰りが乱雑になってスタジオは倒産してしまい、ウォルトディズニー氏は再起を図ってハリウッドに移住しました。

ディズニー社を設立

1923年、ウォルトディズニー氏は兄と共に「ディズニー・ブラザース・カートゥーン・スタジオ」を設立、1926年に同社の名前は「ウォルト・ディズニー・スタジオ」に変更されました。同社は「アリス・コメディ・シリーズ」を展開して経営を軌道に乗せ、1927年にユニバーサル・ピクチャーズの配給で「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」のアニメを世に出し、これをきっかけにディズニー社はアメリカでも屈指のアニメ制作会社へと成長していきました。

ミッキーマウスの誕生

しかし、1928年に契約料の取引決裂から、ディズニー社のアニメーターの多くがユニバーサルに引き抜かれ、オズワルドまで失うこととなりディズニー社は倒産の危機に。再建を目指してウォルト・ディズニー氏は、友人と共にミッキーマウスを誕生させます。ミッキーマウスの元となったのは、これまでのオズワルド作品やアリス・コメディシリーズでライバルキャラとして登場させていた「敵役のねずみ」でした。

「蒸気船ウィリー」で映画に効果音や声を吹き込む

ミッキーマウス登場以降の二作はサイレント映画として作られたものの、1928年の内に公開された第三作「蒸気船ウィリー」は効果音や声も吹き込んだ「トーキー映画」の短編アニメとして制作、ミッキーマウスやミニーマウスの声はウォルト・ディズニー氏自ら演じました。

優れた演出や作画からミッキーマウス・シリーズはヒット。ミッキーマウスはオズワルドやフィリックスといった当時の先行キャラの人気を次第に上回っていきました。

ディズニーリゾート設立

1931年に初めて受賞して以降、アカデミー賞の個人受賞最多記録を保持するほど数多くの賞を受賞したウォルトディズニー氏。1948年頃からはテーマパークの建設を具体化させていき、1955年にディズニーランドを正式にオープン。ディズニーランドは瞬く間に大成功を収め、ウォルトディズニー氏は二つ目のテーマパーク、そしてディズニー・ワールドの建設へと動きました。

ウォルトディズニー氏は1966年12月15日にこの世を去りました。これは、フロリダのディズニーランド、「ウォルト・ディズニー・ワールド」が1971年に開園するよりも前のことでした。

ウォルトディズニーは冷凍保存されている?

ウォルトディズニー氏について、遺体が冷凍保存されていて、いつしか蘇生が可能となった時にウォルトディズニー氏が復活する、なんて都市伝説が残っているようです。

ウォルトディズニー氏の葬儀は亡くなった二日後に行われており、火葬後の遺灰はフォレスト・ローン記念公園に埋葬されています。当然冷凍保存なんてされてはいないのですが、葬儀が身内のみで行われ、情報が公開されなかったことが都市伝説となった原因なのかもしれません。

参考サイト:冷凍保存されている?…ウォルト・ディズニーに関する9つの伝説を検証してみた | Business Insider Japan

最後に

今回はウォルトディズニー氏の経歴などについて紹介しました。今や世界を代表する企業の一つとなったウォルト・ディズニー・カンパニー。ウォルトディズニー氏の魂はこれからもずっと、世界中の人々を楽しませ続けるのでしょう。

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